<全体構成>
龍の起源について、ヨーロッパの悪いドラゴン(一極)と東洋の善い龍(二極)に対して、
中南米に第三の極が存在するか?について考察したものです。
はじめに
2章 ヨーロッパの悪いドラゴンと東洋の善い龍
3章 ヨーロッパの龍の起源~メソポタミアのシュメール~
4章 ヨーロッパにおけるドラゴンの系譜
5章 東洋における龍の起源~インド・中国・アジア・日本~
6章 日本における龍の起源
7章 中南米における龍の起源:メソアメリカ
8章 中南米における龍の起源:アンデス
9章 結論と考察:龍の起源の第三の極
おわりに
龍の起源について、ヨーロッパの悪いドラゴン(一極)と東洋の善い龍(二極)に対して、
中南米に第三の極が存在するか?について考察したものです。
はじめに
2章 ヨーロッパの悪いドラゴンと東洋の善い龍
3章 ヨーロッパの龍の起源~メソポタミアのシュメール~
4章 ヨーロッパにおけるドラゴンの系譜
5章 東洋における龍の起源~インド・中国・アジア・日本~
6章 日本における龍の起源
7章 中南米における龍の起源:メソアメリカ
8章 中南米における龍の起源:アンデス
9章 結論と考察:龍の起源の第三の極
おわりに
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5章 東洋における龍の起源~インド・中国・朝鮮・日本~
龍は世界各地に分布していますが、その形態や性格には、西アジアを分岐点として、東西二つの極が存在しています。
5章 東洋における龍の起源~インド・中国・朝鮮・日本~
龍は世界各地に分布していますが、その形態や性格には、西アジアを分岐点として、東西二つの極が存在しています。
第一極:ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、ヨーロッパに関連する地域
第二極:インド、中国大陸、日本、南方諸島
5-1.インドとアンコールワット遺跡にみるナーガ
インドでは、コブラをモデルとした蛇の神である多頭のナーガが守護神として崇められていました。そして、仏法に取り込まれて仏法を護持するナーガラジャ(龍王)となりました。
仏教では、龍族の王を天竜八部衆(八大竜王)として仏法を護持する役割を与えました。仏教では、法行龍王という善龍がいる一方で、非法行竜王という禍をもたらす悪竜もいました。
仏典が中国に伝わった際、ナーガラジャが「龍」や「龍王」などと訳され、仏教伝来以後の中国の龍の成り立ちにも、蛇神ナーガのイメージが多大な影響を与えました。
仏教では、龍族の王を天竜八部衆(八大竜王)として仏法を護持する役割を与えました。仏教では、法行龍王という善龍がいる一方で、非法行竜王という禍をもたらす悪竜もいました。
仏典が中国に伝わった際、ナーガラジャが「龍」や「龍王」などと訳され、仏教伝来以後の中国の龍の成り立ちにも、蛇神ナーガのイメージが多大な影響を与えました。
図5-1 眠れるナーガ神
【笹間良彦著 『図説 龍の歴史大辞典』より】
【笹間良彦著 『図説 龍の歴史大辞典』より】
アンコール・ワット遺跡群でもたくさんの「蛇神・ナーガ」を見ることが出来ます。12世紀前半にスールヤヴァルマン2世によって建てられたヒンドゥー教寺院であるアンコール・ワットにもたくさんのナーガがあります。アンコール・ワット遺跡群のみでなく、カンボジアにおけるナーガは、海や湖の守護神、不死のシンボルとして、また、天上界とこの世をつなぐ架け橋としても、崇められています。
図-5-2 アンコールワットの参道の南端にあるナーガ
【幻のアンコールワット NHK-BSP4K 2024/5/24 より】
5-2.中国
インドの蛇神ナーガは、中国では《龍》、《龍王》と訳されますが、水神、王権の象徴、仏教の守護、などと位置付けられています。
中国人は黄河を「母なる存在」にとらえる反面、一匹の《暴れ巨龍》にもとらえました。黄河や揚子江などの大河を擁する中国にとって、河川の氾濫、山崩れ、地震、雷、台風、日食などが龍の仕業と考えられていました。しかし、一方ては、それに対する恐怖は畏敬の対象として崇められました。その結果古代中国人は、人間の力をはるかに超越した自然を征服しようとはせず、自然と共生しようと考えました。水に対して神通力を持つ霊獣としての「龍」を生み出しました。
中国では二つの角と五つの爪を持つ龍は皇帝を象徴するものとして神聖視され、龍は、宮殿、玉座、衣服、器物などに描かれています。
<龍はいつ創造されたか>
中国では二つの角と五つの爪を持つ龍は皇帝を象徴するものとして神聖視され、龍は、宮殿、玉座、衣服、器物などに描かれています。
図5-3 龍の式服
【ジョナサン・エヴァンス著 浜名那奈訳
『ドラゴン神話図鑑』より】
<龍はいつ創造されたか>
龍の起源には様々な見方があり、龍の出現した時期にも正確な答(定説)をさがすことは困難です。現在発見されている最古の龍とされているのは、地面に石を置いて形作られた、揚家窪(ようかわ)遺跡にある約8000年前の2匹の龍(1.4M、0.8Mの長さ)という説があります。
辰年を記念して2012年に開催された国立歴史民俗博物館(歴博)主催の第81回歴博フォーラム「新春たつ」での上野祥史氏の講演で、中国の河南省濮陽縣西水披遺跡で紀元前4000年ころの墓に貝を敷き詰めた龍と虎のかたちのような動物を表現している写真が投影されました。この写真からは明らかに、龍と虎の姿を見て取れます。
辰年を記念して2012年に開催された国立歴史民俗博物館(歴博)主催の第81回歴博フォーラム「新春たつ」での上野祥史氏の講演で、中国の河南省濮陽縣西水披遺跡で紀元前4000年ころの墓に貝を敷き詰めた龍と虎のかたちのような動物を表現している写真が投影されました。この写真からは明らかに、龍と虎の姿を見て取れます。
紀元前4000年ころの墓に貝を敷き詰めた龍と虎
【「文物」1988年3月より】
*写真提供:は歴博の上野祥史氏の提供による
5-3.日本
日本では雨を降らせ大地を潤すシンボルとして、蛇の信仰が広く浸透していました。インドのナーガが中国では「龍」・「龍王」ととらえられ、それが様々な文化とともに日本移入し、日本の蛇神信仰と融合して、日本の龍の概念としての龍神が確立しました。そして、龍神は雲や雨水をつかさどる水神として農民に信仰されるようになりました。
日本神話においても蛇退治の話が存在すます。須佐之男命(さのおのみこと)と八岐大蛇(やまたのおろち)との戦に登場する蛇も龍の一種といえます。
図5-4 八岐大蛇退治 月岡芳年 『日本略史之内』
【笹間良彦著 『龍の歴史大辞典』より】
図5-4 八岐大蛇退治 月岡芳年 『日本略史之内』
【笹間良彦著 『龍の歴史大辞典』より】
5-4.エピローグ
龍の起源について、このように整理するのは単純すぎるとは承知の上ですが、現時点での私の理解であり、龍に接するときの道しるべとしています。
東洋では龍は神獣として位置づけられているのに対して、ヨーロッパのドラゴンは邪悪なものと考えられているのはなぜでしょうか。
西洋と東洋の古代人の自然に対する考えの方の違いが原因でしょう。西洋において、混沌の源としてのドラゴンを退治することは、人間が自然を支配できると考えているからなのです。
東洋においても河の氾濫をひきおこす龍は恐れられてはいましたが、その恐れは畏敬の対象として崇められ、人間の力をはるかに超越した自然を征服せずに、自然と共生しようとしました。その結果、中国において龍は皇帝のシンボルとしてあがめられるようにもなったのです。
西洋と東洋の古代人の自然に対する考えの方の違いが原因でしょう。西洋において、混沌の源としてのドラゴンを退治することは、人間が自然を支配できると考えているからなのです。
東洋においても河の氾濫をひきおこす龍は恐れられてはいましたが、その恐れは畏敬の対象として崇められ、人間の力をはるかに超越した自然を征服せずに、自然と共生しようとしました。その結果、中国において龍は皇帝のシンボルとしてあがめられるようにもなったのです。
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