龍の起源について、ヨーロッパの悪いドラゴン(一極)と東洋の善い龍(二極)に対して、
中南米に第三の極が存在するか?について考察したものです。
はじめに
2章 ヨーロッパの悪いドラゴンと東洋の善い龍
3章 ヨーロッパの龍の起源~メソポタミアのシュメール~
4章 ヨーロッパにおけるドラゴンの系譜
5章 東洋における龍の起源~インド・中国・アジア・日本~
6章 日本における龍の起源
7章 中南米における龍の起源:メソアメリカ
8章 中南米における龍の起源:アンデス
9章 結論と考察:龍の起源の第三の極
終わりに
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8章 中南米における龍の起源:アンデス
8-1.アンデス文明
 古代アンデス文明は、南米大陸で南北4000km、標高差4500m、中央アンデス地域に人類が到達した時代から、スペイン人によるインカ帝国征服まで約15000年間存在した文明です。
 この時間と空間の中で多種多様の文化が盛衰を繰り返してきましたが、
古代アンデス文明の中に「ドラゴン」や「龍」の痕跡を探すことを試みました。
 市の中央図書館で本を漁り、ネットで調べていく中で、下記の「アンデス文明史年表」と「中央アンデスの文化圏」を、それぞれの「文明」が栄えた時期と広がりと位置を知るためのよりどころとしました。
 なお、各文明の存在や繁栄した年代の表示には、様々な見解も多いので、表示は原則としてwikipediaの記載を採用しました。
四大文明-480
図8-1 世界の文化圏

アンデス-年表-480a-andes_cultural-period
図8-2 アンデス文明史年表【41】

アンデス-MAP-480
図8-3 中央アンデスの文化圏
東海大学 アンデス文明の概要【注41】

8-2.モチェ文明
 モチェ文明は、紀元前後から700年頃まで繁栄したインカ文明に先行するプレ・インカと呼ばれる高度な文明のひとつで、ペルー北部を中心とする太平洋沿岸にそそぐモチェ川からその名称となりました。
 モチェ文明が繁栄したのは、モチェ川のほか、その北方を流れるラ・レチェ川流域から南は中部海岸のワルメイ川流域までの500kmの範囲に及び、農業開発が進み、灌漑水路を管轄した多数の小国家が自立しながら、時には連合政体を形成していたと考えられています。7世紀頃に山地のワリ文化に影響を受けてモチェ文明は衰退、やがてチムー文化に取って代わられました。
鐙型注口土器
 龍の起源について、第一極の「西洋の悪いドラゴン」、第二極の「東洋の善い龍」、これに対してアメリカ大陸に「(仮)龍蛇」が存在するのかという仮説を探求するのが出発点でした。そのきっかけが、先に記しましたモチェ文明の動物彩文轡型ボトルに描かれている絵柄が高松塚古墳の青龍に似ていることから、アメリカ大陸にも「ドラゴン」または「龍」が存在しているのではというのが出発点でした。
 しかし、
動物彩文轡型ボトルの絵柄は、「ドラゴン」とか「龍」といった概念はなく、モチェ文明で作られた土器の文様の一つである、というのが結論に達しました。
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      図8-4 左:動物彩文轡型ボトル(ペルー北部海岸・モチェ文明・1~7世紀)
          東京大学総合研究博物館 小石川分館での展示【注25】
      図8-5 右:高松塚古墳の青龍
          笹間良彦 『図説・龍の歴史大事典』 遊子館【注11】


 しかし、モチェ文明においては、
写実的に象った
形象土器、優雅な形の鐙(あぶみ)形壺などはモチェ文明独得のもので、黄金やトゥンバガ(金、銀、銅、砒素の低カラット合金)などの装飾品・副葬品がたくさんあることを知りました。
 図8-6と図8-8は、「ピューマ文鐙形壺」と名付けられていますが、先に示した動物彩文轡型ボトルの絵柄によく似ており、モチェ文明でよく使われた図柄の一つといえます。
 中図8-7は
「儀式用ケープをまとった人間型超自然の像が付いた土器の壺」は、後期モチェ文明(紀元前500~600年頃)に作られたもので、ペルー北部沿岸で栄えたモチェ文明の土器で、蛇の図柄がくっきりと見てとれます。
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       図8-6 左:ピューマ文鐙形壺
           『日本大百科全書(ニッポニカ) 第xx巻』 小学館【注12】1994年
       図8-7 中:儀式用ケープをまとった人間型超自然の像が付いた土器の壺
           フォートラベルさんのページ【注22】
       図8-8 右:モチェスタイルの轡形壺
           増田義郎・島田 泉/編『古代アンデスの美術』【注13】

 左図8-9は、把手付きのナスカスタイルの単頸壺にこぶのある動物が描かれています。これはモチェ文明の絵柄からとられたもので、白地赤彩もモチェ文明に倣っています。 
 図8-10と図8-11の「人間型神話的存在が描かれた双注口壺」は、ナスカ文明期に作られたもので、モチェ文明の壺とは色合いが異なっているのが分かります。これらの壺には、たくさんの図柄の中に蛇が描かれているのを見つけました。 
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            図8- 9 左:把手付きのナスカスタイルの単頸壺
                増田義郎・島田 泉編 『古代アンデス美術』 岩波書店【注03】
            図8-10 中:人間型神話的存在が描かれた双注口壺
                すねやさんのブログ【注23】
            図8-11 右:中央にある蛇の文様
                すねやさんのブログ【注23】

<擬人化したネコ科動物の神像:双頭の蛇
 擬人化したネコ科動物の神像で、金メッキの銅に、貝とトルコ石が象嵌されています。頭には双頭のヘビがあり、双頭のヘビは後のシカン時代にまで使用される図像です。 
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図8-12 擬人化したネコ科動物の神像(全体)と双頭の蛇 レプリカ
牡羊座の独り言さんのブログ【
注24

<月のワカ>
 モチェ文明の時代には2つが対になったピラミッド型神殿として、太陽のワカ(Huaca del Sol)と月のワカ(Huaca de la Luna)が造られました。この2つの神殿は、トルヒーヨ市内の中心部から約7kmの場所にあります。
 太陽のワカと月のワカは約500m離れており、その間には居住地区があり、2万5千人が暮らしていたといわれます。太陽のワカは行政を、月のワカは宗教を司り、様々な儀式が執り行われたようです。
月のワカ-1-Huaca_de_la_Luna_jt01
図8-13 月のワカ
Huaca de la Luna jt01 - モチェ文化 -  Wikipedia31
<壁画の説明>
 広場跡は雨乞いの儀式が行われた場所で、色鮮やかな巨大な壁画が描かれています。北のファサードは7層に分けられており、下から1層目は捕虜と戦士、2層目は手を繋いだ踊り手、3層目はクモ、4層目は漁師の神、5層目は犠牲者の首を持つドラゴン、6層目は戦士やイグアナ、7層目は創造の神が描かれています。5層目の絵に「ドラゴン」という説明がありますが、「ドラゴン」、「龍」、「龍蛇」なのか確認はできません。「龍」らしきものが存在していたことが発見できました。
月のワカ-2-640-Huaca_de_la_Luna_-_Août_2007
図8-14 色鮮やかな壁画 雨乞いの儀式が行われた場所
Huaca de la Luna - Août 2007 - モチェ文化-
- Wikipedia32

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 図8-15 下から5層目 犠牲者の首を持つドラゴン
                             左:遺跡ときどき猫さんのサイト注43】 
            中:リマ在住ライターのペルーなひととき44】 
      右:よねさんの「お祭りをゆく」45

8-3.チャピン文明
 チャビン文明は、アンデス文明最古の文明とも言われ、紀元前900~200年頃にペルー北部の
アマゾン川の源流部、標高約3200mのアンデス山脈の谷間に存在した文明です。
<チャビン・デ・ワンタル>
 チャビン・デ・ワンタルはチャビン文明の名前の由来となった、現在のペルーアンカシュ県の高地に位置するチャビン文明の代表的な遺跡です。紀元前900年頃に建設され、チャビン人の宗教的、政治的な中心であったと考えられています。
 約300m四方の地域に、内部に石積みの神殿や地下通路が縦横に張り巡らされており、そこでは水と豊作の儀式が行われたといわれています。
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図8-16 チャビン・デ・ワンタル
チャビン・デ・ワンタル - Wikipedia【注33】

 チャビン・デ・ワンタルには主神とされたジャガーと蛇を組み合わせた「ランソン像」などの遺構が残っています。

チャピン・デ・ワンタル-800px-MNCH_08_06122009
図8-17 ジャガーと蛇を組み合わせた「ランソン像」
File:MNCH 08 06122009.jpg - Wikipedia【34

8-4.ナスカ文明の地上絵
 ナスカの地上絵は古代ナスカ文明の遺産であり、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠の地表面に、砂利の色分けによって描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称です。ナスカの図形群が描かれているエリアは縦横30km(諸説あり)もある非常に広大な面積に描かれています。
 ナスカの地上絵には、ハチドリ・バリワナ・ペリカン・クモ・コンドル・サル・トカゲ・オウム・木・犬・手・クジラ・トライアングル・不等四辺形・宇宙飛行士と、様々な種類の絵があと言われますが、私はドラゴン、龍、蛇などを示す絵を見つけることが出来ませんでした。
 2022年12月8日の山形大学のプレスリリースに、「蛇」が登場しているのを見つけました。「山形大学の坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らの研究グループは、ペルー人考古学者と共同で、人間、ラクダ科動物、鳥、シャチ、ネコ科動物、などの地上絵168点を、南米ペルーのナスカ台地とナスカ市街地付近で新たに発見しました。これらは航空レーザー測量とドローンを活用した現地調査(2019年6月~2020年2月)、その後のデータ分析などによって発見されたもので、紀元前100年~300年頃に描かれたものと考えられます。アンデスのナスカにも「蛇」が居たのを発見することが出来たのは収穫でした。
地上絵 蛇
図8-18 人がヘビに攻撃されているように見える地上絵
へビの両端に人が描かれている
MAINICHI PHOTOGRAPHY【46】

8-5.チムー文明
<チムー文明>
 チムー文明は、11~15世紀にペルー海岸地帯の都市トルヒーリョの北郊で栄えたアンデス文明の後古典期に属するモチェ文明に続く文明です。強力な中央集権的国家組織を反映して,巨大な神殿,宮殿を中心とした都市が各地に建設されました。
<ドラゴンのワカ>
 ドラゴンのワカ《Huaca del Dragón》とはチムー文明時代のピラミッド型の建造物で、先インカ期の遺跡。レリーフにアーチ状のものが虹に見えることから「虹のワカ」ともいわれます。ただし、ドラゴンという名称は、チムー時代の人たちが使用していたのでではなく、この遺跡の発見者が壁画を見て「ドラゴン」と呼んだからです。

ドラゴンのワカ-P10404411
図8-19 ドラゴンのワカ
いせきねこさんのサイト【注47】

 ドラゴンのワカの壁にはドラゴンのように見える動物や虹などを組み合わせたレリーフが繰り返し描かれています。2体のモンスターが向き合う上に虹のようなものが描かれ、その両端に顔があります。
ドラゴンのワカ-P10404461
図8-20 拡大したドラゴンのワカのレリーフ
いせきねこさんのサイト【注47】

8-6.インカ文明とアマル神話
 インカ文明は、15世紀後半までにアンデス高地の現在のエクアドルからペルー、チリにおよぶ広い範囲を支配したアンデス文明の中で最も繁栄したインカ帝国の文明です。
・太陽信仰を中心とした、アニミズム的な宗教による国家統制
 首都クスコには太陽の神殿が建設された
・インカ道路網を含めたすぐれた統治システムが整備された
・灌漑施設、公共浴場など、大規模かつ精巧な石造建築が発達した
・高度な石造建築技術を駆使した大都市(首都のクスコやマチュピチュ)が
 アンデス山中に建造された
・独特の意匠を持つ土器類がつくられ、金銀、銅、青銅の金属加工技術が
 高度に発達した
・綿や毛織物の技術も発達した
ことなどが、インカ文明の特徴です。
< 
アマル神話
 アマル(Amaru、Amaro)とはインカ神話に伝わる竜または蛇のことで、アマロともいいます。アマルはケチュア語でヘビまたは竜を指し、巨大な2つ首を持ち、鳥のような脚と翼をもつといわれています。アマルは地下世界に住み、地下世界からこの世へ、この世から地下世界へと渡ることもできると信じられていました。
 残念ながら、アマル神話では「かたち」を見つけることが出来ませんでした。

9回.おわりに:龍の起源の第三の極

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アンデス文明:参考資料
◆主に参考とした文献等
注01)関 雄二著 『世界の考古学① アンデスの考古学』 同成社 1997
注02)マリア・ロストウォロフスキ著 増田 義郎/訳 
        『インカ国家の形成と崩壊』 東洋書林 2023年
注03)増田義郎・島田 泉編 『古代アンデス美術』 岩波書店 1991年
   リマ、国立人類学考古学博物館蔵  c-35972
注04 NHK-BS はるかなる古代文明 アンデス・インカ 幻の黄金を求めて 2024年04月6日 放送

◆出典
注11)笹間良彦著 『図説・龍の歴史大事典』 遊子館 2006年
注12)『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館 
注13)増田義郎・島田 泉編『古代アンデスの美術』1991年
   リマ、国立人類学考古学博物館蔵 c-54709
注21)国立科学博物館 「インカ帝国展‐マチュピチュ『発見』100年」2012年
注22)フォートラベルさんのページ
   https://4travel.jp/travelogue/11296989
   国立科学博物館の「古代アンデス文明展」(2017年)に展示
   ペルー文化省・国立考古学人類学歴史学博物館所蔵
注23)すねやさんのブログ
   https://suneya02.exblog.jp/26273452/
   国立科学博物館の「古代アンデス文明展」(2017年)に展示
   デイダクティコ・アントニーニ博物館
注24)牡羊座の独り言さんのブログ
   https://kassy3250.blog.fc2.com/blog-entry-5787.html
   国立科学博物館の「古代アンデス文明展」(2017年)に展示(レプリカ)
注25)東京大学総合研究博物館 小石川分館での展示 2019年
注33)File:MNCH 08 06122009.jpg – Wikipedia
<Wikipedia>
注33)チャビン・デ・ワンタル - Wikipedia
注34)File:MNCH 08 06122009.jpg - Wikipedia
注41)東海大学 アンデス文明の概要
   https://andes.civilization.u-tokai.ac.jp/abstract/
   元資料に、生部が文化の名前を書き込みました
注42)チャピン・デ・ワンタル
   アンデス文明最古のチャビン・デ・ワンタル遺跡 - ときをこえて ☆ (hatenadiary.com)    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Chavin_de_Huantar_El_Castillo_06122009.jpg
注43)遺跡ときどき猫さんのサイト 2011年9月訪問
   http://isekineko.jp/nammbei-tukinowaka.html
注44)リマ在住ライターのペルーなひととき
   https://www.keikoharada.com/blog/2007/04/trujillo-huaca-del-sol-y-la-luna.html
   こちら側にも3段に描かれた壁画
注45)よねさんの「お祭りをゆく」
   http://yonesama.seesaa.net/upload/detail/image/IMG_46832028229-thumbnail2.JPG.html
注46)写真提供=山形大学 MAINICHI PHOTOGRAPHY 2019/11/15 20:20
https://mainichi.jp/graphs/20191115/hpj/00m/040/003000g/20191115hpj00m040027000qshasinnha 
注47)いせきねこさんのサイト
   http://isekineko.jp/nammbei-doragonnnowaka.html
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