<全体構成>
龍の起源について、ヨーロッパの悪いドラゴン(一極)と東洋の善い龍(二極)に対して、
中南米に第三の極が存在するか?について考察したものです。
はじめに
2章 ヨーロッパの悪いドラゴンと東洋の善い龍
3章 ヨーロッパの龍の起源~メソポタミアのシュメール~
4章 ヨーロッパにおけるドラゴンの系譜
5章 東洋における龍の起源~インド・中国・アジア・日本~
6章 日本における龍の起源
7章 中南米における龍の起源:メソアメリカ
8章 中南米における龍の起源:アンデス
9章 結論と考察:龍の起源の第三の極
おわりに
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9章 結論と考察
:龍の起源の第三の極
9-1.出発点での仮説
 龍の起源について、第一極として「西洋の悪いドラゴン」、第二極として「東洋の善い龍」、これに加えて南北アメリカ大陸に第三の極の「(仮)龍蛇」が存在するのか?を探るのが今回の探求の出発点でした。
三極
図9-1 第三の極としての「(仮)龍蛇」が存在するのか?

 そのきっかけとなったのが、モチェ文明の「動物彩文轡型ボトル」に描かれた絵柄が高松塚古墳に描かれた青龍に似ていることから、南北アメリカ大陸にも「ドラゴン」または「龍」が存在しているのではという好奇心でした。
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           図9-2 左:モチェ文明 動物彩文轡型ボトル
        東京大学総合研究博物館小石川分館での展示 2019【注11】
           図9-3 右:高松塚古墳に描かれた青龍
       笹間良彦著 『図説・龍の歴史大事典』(遊子館)【注12】

9-2.結論
 第一極の「西洋の悪いドラゴン」、第二極の「東洋の善い龍」と対比して、南北アメリカ大陸にこれらに匹敵する「(仮)龍蛇」が存在するのか? という問題意識を持って探索した結果、以下の私なりの結論に達しました。
 結論1:モチェ文明の壺の図柄は「(仮)龍蛇」ではなかった。
 結論2:北米のメソアメリカ文化に
「(仮)龍蛇」は
     「羽毛の蛇」として存在していた。
 結論3:南米のアンデスに「(仮)龍蛇」は存在したが、
     いわゆる龍」や「ドラゴン」にまでは進化しなかった。
 結論4:メソアメリカとアンデスの「(仮)龍蛇」は西洋や東洋の影響を
     受けていない独自のものであり、考え方の基本は「東洋の龍」に近い。

9-3.
結論1:モチェ文明の壺の図柄は「(仮)龍蛇」ではない

 「動物彩文轡型ボトル」にある絵柄は、「ドラゴン」とか「龍」といった概念はなく、モチェ文明で作られた土器の文様の一つである、これが「出発点」に対する結論です。
 
モチェ文明においては、写実的に象った形象土器、優雅な形の鐙(あぶみ)形壺などはモチェ文明独特のものがあり、絵柄として蛇が描かれている壺もありました。しかし、これはあくまでも絵柄として採用されているものであり、「龍神」と
いうようなメタファとしての象徴的な意味を持つところまでは進化していませんでした。
44-事例-モチェ2-640
 図9-4 モチェ文明の壺 

9-4.結論2:北米のメソアメリカ文明に「(仮)龍蛇」は「羽毛の蛇」として存在した
 北米のメソアメリカ文明では、最初に「(仮)龍蛇」と位置付けたものが「羽毛の蛇」として
存在し、根付いていました。メソアメリカ文明において、オルメカ文明に始まり、アステカ文明いたるまで、またマヤ文明においても、時代をとおして、且つ広い地域に「羽毛の蛇」が登場しています。
オルメカ文明 羽毛のある蛇
 オルメカ文明は、紀元前1200年頃から400 年にかけてメキシコ湾に面した北アメリカ大陸のメソアメリカ文明の最初の都市文明です。大神殿や巨石人頭像などの巨大な石造建造物を残っています。
 「羽毛の蛇」が初めて登場したのがオルメカ文明で、「羽毛のある蛇」と呼ばれています。
36-1-オルテカ
図9-5 オルメカ文明の羽毛のある蛇 

<テオティワカン文明 ケツァルコアトル>
 紀元前150年から550~600年頃に栄えたテオティワカン文明のピラミッド(神殿)の基壇全面に飾られた「ケツァルコアトル」は、テオティワカンの主神でもあり、水と植物の神、風の神,生命の神,農耕,冶金術を教えた英雄神としてとして信仰の対象とされていました。
36-2-テオティワカン
図9-6 テオティワカン文明のケツァルコアトル
 
<トルテカ文明 ショチカルコ遺跡>
 テオティワカン文明が衰退した後の西暦650年から900年ごろに栄えたトルテカ文明の中心都市だったと考えられているショチカルコ遺跡が残されています。石碑の広場に面した大ピラミッドは、「羽毛の蛇の神殿」と呼ばれ、神殿の基部は豪華なレリーフで覆われており、「羽毛の蛇」のレリーフが残っています。

36-3-トルテカ
図9-7 トルテカ文明の羽毛の蛇

<アステカ文明 テノチティトラン
 アステカ文明は1428年頃から1521年の約95年間、メキシコ中部で栄えたアステカ王国の文明で、メソアメリカ文明の最後に現れた文明です。アステカ王国の首都テノチティトランの中心部には大神殿が築かれ、その周囲にはケツァルコアトル(羽毛の生えた蛇神)の円形神殿、球技場、広場、王宮などがつくられました。しかし、征服したスペイン人たちが植民都市メキシコを建設するために、テノチティトランの大部分の建物を破壊してしまいました。
 図9-8のに上段に示す羽毛の蛇像メキシコ市郊外テナユカに残されています。
 図9-8のに中段に示すアステカの儀式暦ブルボン絵文書は、アステカの儀式暦を示したもので、絵文書の左上の絵画的な部分には、守護神とそれに関係する様々なシンボルとして、春の神といわれるシベと羽毛の蛇が主役として描かれています。
 図9-8の下段に示す双頭の蛇の胸飾りは、1519年にスペイン人エルナン・コルテスがアステカに上陸すると、モクテソマ2世は白人のコルテスを「白い神ケツァルコアトル」が戻ってきたと勘違いし歓待、大量の贈り物を献上品の一つです。

36-4-アステカ
図9-8 アステカ文明の蛇たち 

<マヤ文明 チチェン・イッツァのククルカン>
 800~900年頃から1250年頃に
マヤ文明の後古典期の中心地として栄えチチェン・イッツァにあるピラミッド(城塞)は、エル・カスティーョ」と呼ばれ、また「ククルカン・ピラミッド」、「ククルカンの神殿」」とも呼ばれています。このピラミッドの北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻が置かれています。
 ククルカンとはメソアメリカにおける最高神ケツァルコアトルのマヤ語名であり、農耕神、風と豊穣の神ともいわれています。
 エル・カステーョ(ククルカンのピラミッド)の北面の階段では、春分と秋分の夕暮れに、また、春分あとの満月の日の夜にもククルカンが降臨する現象を見ることが出来ます。太陽の力を活力としたククルカンが異世界からこの世に姿を現す現象を示すことで、時の為政者が権威を示すのに用いられたと考えられます。
 チチェン・イッツァでは、戦士の神殿や競技場でも羽毛の蛇の姿を見ることが出来ます。
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図9-9 チチェン・イツァのククルカン

9-5.結論3:南米のアンデスに(仮)龍蛇は存在したが、龍」や「ドラゴン」までは進化しなかった
 アンデスの
時代では、龍蛇(蛇・ドラゴン・龍)は、形として、また概念としてたくさん見ることが出来ます。しかし、南米のアンデス文明では、
龍蛇は存在するけれど、蛇→龍蛇→龍・ドラゴンと進化のではなく、「龍神」というメタファとして象徴的な意味を持つまでは進化しなかった、というのが現時点での私の結論です。

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図9-10 アンデス文明に登場する蛇たち

9-6.結論4:メソアメリカとアンデスの「羽毛の蛇」は西洋や東洋の影響を
    受けていな い独自のものである

 中南米の「羽毛の蛇」の概念はヨーロッパよりも東洋に近く、羽毛の蛇を敵視するのではなく、共存や融和という意識が強く、特に自然(その中でも水)に対する思い入れが強かったように感じます。
<1.中南米の「龍蛇」は東洋の「善い龍」に近い:「水」に着目>
 ヨーロッパのドラゴンは邪悪なものとされ、東洋では龍は神獣として位置づけられているのは、古代人の自然に対する考えの違いが原因であると考えられます。
 西洋では、混沌の源としてドラゴンを退治のは、人間が自然を征服し支配できると考えに由来します。
 中国においても河川の氾濫をひきおこす龍は恐れられてはいましたが、その恐怖は畏敬の対象として崇められました。古代中国人は、人間の力をはるかに超越した自然を征服しようとはせずに、自然と共生しようとしました。「水」に対して神通力を持つ霊獣としての《龍》を生み出しまのです。
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図9-11 ヨーロッパの悪いドラゴンと東洋の善い龍

<2.マヤ文明におけるチチェン・イッツァの天然の湖「セノーテ」
 文明の繁栄には河川の役割が重要でしたが、マヤ文明後期のチチェン・イッツァ周辺には川や湖沼がありません。石灰岩の岩盤が陥没して地下水が露呈した天然の湖「セノーテ」が唯一の水源でした。「セノーテ」は宗教儀礼に用いられるようになり、雨が降らない時や豊作を願う時に財宝や生贄の人間が投げ込まれたといわれています。
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図9-18 セノーテに投げ込まれていた、蛇の図柄がある「トルコ石のモザイク円盤」
NHK-BSP4K:はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり神は降臨する「マヤ文明」【注06】

 エル・カスティーヨ神殿(ククルカンのピラミッド)は、4つのセノーテのほぼ中心部に置かれています。しかも東西のセノーテは神殿から等距離に位置しています。この4つのセノーテが、自然に陥没してできたものか、意図的に地下水を求めて人が掘ったものかはわかりません。
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図9-12 エル・カスティージョ神殿と周辺にあるセノーテ
嘉幡 茂著 『図説マヤ文明』(河出書房新社)【注13】

 エル・カスティージョ神殿がある広場から5分ほど小道を進んでいくと、地面が急に落ち込んで目の前に泉が現れます。泉の直径は60mくらい、深さは20mくらいの緑色の水面を見ることができます。
 これは余談ですが、
ククルカンは降臨したあとピラミッド(エル・カスティーヨ神殿)を抜け出して泉(セノーテ)に向かい喉を潤したという逸話があります。上野寛永寺の鐘楼の四隅の柱に彫った龍の中で、甚五郎が彫った龍が、夜な夜な柱から抜け出して不忍池に水を飲みに降りるようになった、という逸話を思い出しました。

<3.エジプトとメソアメリカのピラミッド>
 エジプトのクフ王のピラミッドは紀元前2500年頃に作られ、メキシコのテオティワカン文明が栄えた時期は、紀元前1世紀から6世紀ころまでといわれます。
 クフ王のピラミッドの底辺の幅は230m、高さは146m、テオティワカンの太陽のピラミッドは底辺の幅が223m、高さが 63mで、底辺の幅はほぼ同じでも、高さはクフ王の方が2.3倍ほどの差です。
 エジプトのピラミッドは王墓で、
メソアメリカのピラミッドは祭祀用の神殿と考えられていましたが、最近ではメソアメリカでも王墓だったとも言われています。
 メソアメリカのピラミッドは外部の斜面に階段があり、ピラミッドの上部は平らになっており、そこに神殿が置かれ、儀礼が行われていました。
 メソアメリカのピラミッドは、時代が下るにしたがって元のピラミッドを覆うように幅広く、より高く「増築」されています。
 また、メソアメリカのピラミッドには、羽毛の蛇(
ケツァルコアトルやククルカン)が飾られているところにも特徴があります。

 エジプトのギザの台地にそびえる、三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)はギザのピラミッド群と呼ばれています。この3つのピラミッドの並び方が、空から見るとオリオン座の3ツ星の並びによく似ているといわれています。
 3つ星をよく見ると、等間隔に並んでいますが、西端の星は、他の二つの星よりも少々暗く、ほんの少し一直線から北にずれていることがわかります。
3つのピラミッドの配置を見ると、いちばん端のメンカウラー王のものだけが他の2つよりも小さく、少し北にずらして建てられています。

 テオティワカンの3つのピラミッドも同じ配置で、間隔は異なっていますが、その配置がずれていることや大きさの差があることも同じことが見て取れます
 そして、軸線に対するピラミッドの両者の配置の違いに今回気が付きました。エジプトでは対角線に軸線があり、テオティワカンでは軸線がピラミッドの辺に平行に走っています。
オリオン座-比較
図9-13 オリオン座とピラミッドの配置
左:オリオン座【注14】 中:三大ピラミッド【注15】 右:テオティワカン【注16】

 エジプトのピラミッドとメソアメリカのテオティワカンの3つのピラミッドの配置が同じ考え方で、 オリオン座の3ツ星の並びと類似しているのはなぜなのか。エジプトの思考がメソアメリカへ伝わったか、お互いが独自で考えたものか、古代の宇宙人が双方に知恵を授けたのではないか(ヒストリーChの古代の宇宙人)という説まで議論になっているようです。
 明確な判断はとてもできませんが、人類は天体の法則に気が付き観測の技術を会得し、遠く離れたところにいる人達が、同じことを考えついたのではないかと私は考えています。

<4.「7」が意味すること:マヤ文明・キリスト教・バビロニアのシュメール
(1)7つの赤い血:マヤ文明のチチェン・イッツァ
 チチェン・イッツァにある競技場では、宗教儀式として競技が行われました。競技は、太陽に見立てたボールを腰ではねて(打って)壁に取り付けられているリングをとおして得点を競うものです。
 メソアメリカでは「生贄」の文化が広く行われ、この競技では敗者が生贄にされたといわれています。(
最近でゃ、勝者のリーダーが、神への使者として死ぬ栄誉を授けられたという説もあります)
 図9-14の
レリーフの下部に太陽に見立てたボールの内部に死のシンボルである頭蓋骨が描かれています。また、生贄の首から飛び散る血しぶきが、神の使いである「7つ」の蛇の頭として表現されています。中央の蛇の頭からは血が噴き出し、それが植物になって実をつける、血が生命を生み出す様子が描かれています。
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図9-14 競技場の浅浮彫のレリーフ
首から飛び散る血しぶきが神の使いである蛇になっている
NHKBSP4K フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎【注16】


(2)
7つの頭を持つ赤いドラゴン:新約聖書ヨハネの黙示録
 聖書では「7」は最も大切な数で、閑静・完全を意味します。また、3は神の世界、4は自然を意味していますので、神の世界と自然の世界を合わせた「7」が完成がということになります。神は天地創造の仕事を完成、第7の日を聖別、一週間が7日となったのです。
新約聖書ヨハネの黙示録の太陽の女と七つの頭の竜(12章1-6節)
 「女は太陽を身につけ、月の上に載り、12の星の冠を戴いていた。彼女は生みの苦しみでのたうち、大変な苦痛で叫んでいた。7つの頭と10の角を持ち、頭には7つの冠を載せている大きな赤いドラゴンが女の前に歩み寄る。このドラゴンは、女性が産んだ子供を食べてしまおうと待ち構えていた。生れた子供は男子で、将来人々を治める運命を持っており、この子供は天の神の御座に引き上げられる。女は神によって用意された荒野に逃げて、神の庇護を受けた」とあります。
 ドラゴンは神の敵対者であり、赤い色は反乱や炎や血のしるしです。七頭はこのドラゴンがカオスを起こすドラゴンであることを示していて、十角はそれが巨大な力を持っていることのあかしでもあります。
 聖書では、神の世界と自然の世界を合わせた「7」を完成としますが、ヨハネの黙示録で「7」はカオスを起こす(赤い)ドラゴンの頭の数です。
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           図9-15 左:ヨハネの黙示録
           ファクンドウス写本 1047年 マドリード国立図書館【注17】
           図9-16 右:太陽の女と七つの頭のドラゴン
ジローナ大聖堂のショップのビラより撮影【注18】

(3)
ムシュマッヘ(七岐の大蛇):バビロニア文明のシュメール
 「3章.バビロニア文明のシュメール」の中で、
耕地も家畜も家屋も飲み込んでしまう混沌の象徴として退治されるべきものと位置づけているティアマト(=龍)を紹介しています。図9-17に示したティアマトが生み出した11の怪物のひとつであるムシュマッヘは7つの頭を持っています。
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図9-17 ムシュマッヘ(七岐の大蛇)を退治する様子
HEXさんのブログより【注19】

 今回、マヤ文明のチェチェンイッツアで赤い血を吐く7つの頭を持つ蛇の存在を目にして、ヨハネの黙示録とシュメールのティアマトを思い出しました。
 シュメールのムシュマッヘ(七岐の大蛇)がヨハネの黙示録で登場する7つの頭を持つ赤いドラゴンのもとになっていると私は考えます。
 ヨーロッパで登場する7つの頭のドラゴンが、メソアメリカの赤い血を吐く7つの頭を持つ蛇と関係があるのか、これは、龍の起源の第三の極がヨーロッパ大陸の影響を受けているか判断する一つの視点になるかも知れません。
 これもピラミッドの場合と同じように、ヨーロッパとメソアメリカの古い時代の人々がそれぞれに考えた「7」と「赤」ではなかったかと、私は想像するのですが。
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◆主に参考とした文献など
注01)嘉幡 茂著 『図説マヤ文明』 (ふくろうの本)  河出書房新社 2020年
02)青山和夫監修 『マヤと古代メキシコ文明のすべて』 宝島社 2023年
03)青山 和夫・猪俣 健著 『世界の考古学②   メソアメリカの考古学』 同成社 1997年
04)関 雄二著 『世界の考古学 アンデスの考古学』 同成社 1997年
05)NHK-BS:フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎 2024/03/28
06)NHK-BSP4K:はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり神は降臨する「マヤ文明」2024/04/07
07)NHK-BS:はるかなる古代文明 アンデス・インカ 幻の黄金を求めて 2024/04/06
◆出典
7章と8章で出典を記した図や写真については、出典の表示を省略しました
注11)東京大学総合研究博物館小石川分館 2019
注12)右:笹間良彦著 『図説・龍の歴史大事典』(遊子館 2006)
注13)嘉幡 茂著 『図説マヤ文明』(河出書房新社 2020)
   P94の図-1を加工した
注14)浅田英夫の星の歳時記 https://plus.chunichi.co.jp/blog/asada/article/282/2053/
注15)Gogleにピラミッドがわかるように手を加えた
注16)NHK-BS フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎 2024/03/28
注17)『ファクンドウス写本』 1047年 マドリード国立図書館
注18)ジローナ大聖堂のショップのビラより筆者が撮影
19)HEXさんのブログ
   https://ameblo.jp/hex-6/entry-10730045504.html?frm=theme
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