<全体構成>
龍の起源について、ヨーロッパの悪いドラゴン(一極)と東洋の善い龍(二極)に対して、
中南米に第三の極が存在するか?について考察したものです。
はじめに
2章 ヨーロッパの悪いドラゴンと東洋の善い龍
3章 ヨーロッパの龍の起源~メソポタミアのシュメール~
4章 ヨーロッパにおけるドラゴンの系譜
5章 東洋における龍の起源~インド・中国・アジア・日本~
6章 日本における龍の起源
7章 中南米における龍の起源:メソアメリカ
8章 中南米における龍の起源:アンデス
9章 結論と考察:龍の起源の第三の極
おわりに
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7章 中南米における龍の起源:メソアメリカ
7-1.龍の起源を考えるにあたって、世界各地の「文明」に着目
 メソポタミア文明とエジプト文明が融合したオリエント文明を中心に、「ヨーロッパの悪いドラゴンを第一極、インダス文明と中国文明を中心に、「東洋の善い龍」を第二極としました。
 
ベーリング海峡がアジアとまだ地続きであった氷河期に、人類がベーリング地峡を通ってアメリカ大陸にまで到達したと考えられています。
 中南米に独自の第三極としての「(仮)龍蛇」があったのか、あったとしたら大陸の影響を受けたのか、どちらも重要なテーマですが、一応の出発点としました。
四大文明-480
図7-1 世界の文化圏

a-2-古代アメリカ文明の流れ
図7-2 古代アメリカ文明の流れ
世界の歴史まっぷより【注21】

7-2.メソアメリカ文明
 北米大陸のアステカ文明マヤ文明に代表される、スペインにより征服される前のメキシコ高原・ユカタン半島などにみられる文明をメソアメリカ文明といいます。
 紀元前1200年頃までには、
強固な宗教色を特色とするオルメカ文明がメキシコ湾岸でおこり、周辺地域に影響を与えました。オルメカ文明は紀元前500年頃に衰退しましたが、メキシコ一帯にはその遺産をひきついだ文明が広がり、紀元前1世紀にはメキシコ高原でテオティワカン文明が生まれ、交易で繁栄しました。
 ユカタン半島では紀元前1000年頃から16世紀にかけてマヤ文明に受け継がれ、特に4世紀から9世紀に最盛期をむかえ、ピラミッド状の神殿、二十進法、精密な暦法、絵文字など独自の文明が起こりました。
 また、アステカ人が北方からメキシコ高原に移住してトルテカ文明を継承し、メソアメリカで最後の
アステカ文明を築きました。14世紀にはテノチティトラン(現メキシコシティ)を首都とする王国をつくりました。
メソアメリカ-配置
図7-3 メソアメリカ文明の配置

7-3.オルメカ文明
 オルメカ文明は、紀元前1200年頃から400 年にかけてメキシコ湾に面した現在のメキシコのタバスコ州とベラクルス州で栄えた、北アメリカ大陸のメソアメリカ文明の最初の都市文明です。大神殿や巨石人頭像などの巨大な石造建造物を残しています。
 彼らは大型肉食獣のジャガーを雨と豊穣をもたらす神として信仰し、その文化のシンボルとして、絵文字の使用やゼロの概念を用いた計算と、精緻な暦法を使用していたといわれ、後のテオティワカン文明、マヤ文明に大きな影響を与えました。
 羽毛のある蛇は、オルメカ文明で最初に登場し、オルメカ神話の基本的な水と豊饒に関連しており、後の時代の「羽毛の蛇」として、メソアメリカ文明に共通する神性を持った象徴として信仰の対象となりました。
オルメカ-1 オルメカ-2-orumeka-2IMG_000113 (1)
図7-4 羽毛のある蛇
        左:メキシコ国立人類学博物館蔵 
          YuBrainさんのサイトより【注22】
        右:ラ・ベンタ遺跡公園にある石碑(レプリカ)
          遺跡ときとき猫さんのサイト【注23】

7-4.テオティワカン文明
 テオティワカンはメキシコ先住民の語で「神々が住む場所」という意味で、メキシコシティの北東約40キロの地点、メキシコ中央高原にあり、約600の神殿ピラミッドの遺跡現在も残っています。テオティワカンは起源前100年から650年頃まで繁栄したテオティワカン文明の中心となった宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、10万から20万人の人が暮らしていたと推測されています。
 真北から東に15度25分傾斜した「死者の大通り(南北3316m、道幅は約40-60m)」を起点として、太陽のピラミッド、月のピラミッド、南端にあるケツァルコアトルのピラミッド(羽毛の生えた蛇の神殿)などの各施設が配置されていました。(まちづくりの基本単位が83cmであることの説明は省略)
 しかし、これらの神殿は550から650年頃に突如衰退し、廃墟と化してしまいました。
1-テオティアカン配置
図7-5 テオティワカンの配置
NHK-BS フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎【注31】

ケツァルコアトルのピラミッド(羽毛の生えた蛇の神殿)>
 ケツァルコアトルのピラミッドは、テオティワカンの遺跡群の南端に位置します「羽毛の生えた蛇の神殿」とも呼ばれるピラミッドは、シウダデーラ(城壁)と呼ばれる方形の大広場の東側に作られました。一辺の長さ65m、高さ20mで、内部に王墓を備えていたといわれるこのピラミッドは200年ころに完成していたものですが、300年を過ぎたころ、覆い隠されたと考えられていまが、その前面は部分的に復元されています。
*数値は、青山和夫監修『マヤと古代メキシコ文明のすべて』宝島社新書 による
1-神殿
図7-6 羽毛の生えた蛇の神殿
NHK-BS フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎 より【注31】

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図7-7 羽毛の生えた蛇の神殿の石段
『大系世界の美術7 古代アメリカ美術』(学研)より
【注12】

<ケツァルコアトル>
 ケツァルコアトルのピラミッド(神殿)は無数のレリーフで飾られていています。ナワトル語でケツァルコアトルとは「羽毛のある蛇(ケツァルは美しい羽の鳥、コアトルは蛇)という意味で、テオティワカンの主神であり、王や商人の守護神、豊穣と風の神でもありました。
 神殿の階段両側の壁面に繰り返し現れる2種のレリーフがあります。その一つが首の周りに羽根がある神像がケツァルコアトルであると定説になっていますが、もう一つの丸い目をし牙をむき出した怪奇な神像は、トラロック(雨の女神)ともいわれていますが、くの説があるようです。
ケツァルコアトル3
図7-8 階段わきの壁面の神像
NHK-BS フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎 より【注31】

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図7-9 ケツァルコアトル
『世界美術大全集 第1巻 先史美術と中南米美術』(小学館)より【注11

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図7-10 ケツァルコアトル
『大系世界の美術7 古代アメリカ美術』(学研)より【注12】

ケツァルコアトル2

図7-11 神殿階段下のケツァルコアトル
NHK-BS フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎 より【注31】

7-5.
トルテカ文明 ショチカルコ遺跡
 テオティワカンが衰退した後に栄えたトルテカ文明の中心都市であったと考えられているショチカルコ遺跡は、モレロス州都クエルナバカの南西の丘の頂上と斜面に位置しています。この遺跡が栄えたのは650年から900年頃のこと、1909年に修復されました。
 ショチカルコは、花(xochi)の家(cal)のある場所(co)を意味します。石碑の広場に面した大ピラミッドは、「羽毛の蛇の神殿」と呼ばれ、タルー・タブレロ様式で造られた基部の上に神殿(現在は下部のみが残る)が建っていました。神殿と基部は豪華なレリーフで覆われていて、トルテカ文明の「羽毛の蛇」のレリーフが残っています。
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図7-12 石碑の広場に面した大ピラミッド「羽毛の蛇の神殿」
小川裕生さんのホームページ より【注24】

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図7-13 大ピラミッドの
基部とレリーフ
世界遺産を学ぶ より【注25】

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図7-14 羽毛の蛇のレリーフ
小川裕生さんのホームページ より【注24】

7-6.アステカ文明(後古典期後期) テノチティトラン
 
アステカ文明は1428年頃から1521年の約95年間、メキシコ中部で栄えたアステカ王国の文明で、メソアメリカ文明の最後に繫栄した文明です。
 メソアメリカの最大の王国とされるアステカ王国(1428-1521年)のテノチティトランは、アステカ文明(後古典期後期)の首都として、古代国家特有の重厚華麗な様式を基調としてつくられました。
 しかし、後にメキシコを
征服したスペイン人たちが植民都市メキシコを建設するために、テノチティトランの大部分の建物を破壊しました。
羽毛の蛇像
 テノチティトランの中心部には大神殿が築かれ、その周囲にはケツァルコアトル(羽毛の生えた蛇神)の円形神殿、球技場、広場、王宮などがつくられました。
 下に図示したのは、メキシコ市郊外テナユカに残されている「羽毛の蛇像」といわれるものです。
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図7-15 羽毛の蛇像
『大系世界の美術7 古代アメリカ美術』(学研)より【注12】

アステカの儀式暦 ブルボン絵文書
 マヤ、アステカなどの絵文書のことをコデックスないしコディセとも呼びます。材料は、いちじくなどの木の繊維や樹皮、鹿の皮を利用して両面に白色の石灰を塗って、屏風折りにしています。
 下に示す図は、アステカの儀式暦を示したもので、1ページが39x39.5cm片面のみに絵が描かれている中の14ページのものです。左上の絵画的な部分には、守護神とそれに関係する様々なシンボルとして、春の神といわれるシベと羽毛の蛇が大きく描かれています。
 右上と下の文字部分は、260日暦の13の日と夜を支配する9神、天井を支配する13神とそれに沿う13の鳥などが描かれています。
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図7-16 アステカの儀式暦 ブルボン絵文書14ページ
『世界美術大全集 第1巻 先史美術と中南米美術』(小学館)より【注11】

<双頭の蛇の胸飾り>
 1519年、スペイン人エルナン・コルテスがアステカに上陸すると、モクテソマ2世は白人のコルテスを白い神ケツァルコアトルが戻ってきたと勘違いし歓待、大量の贈り物を献上しました。
 その中の一つと考えられる双頭の蛇の胸飾りは貴重なトルコ石製で、幅43.3cm、高さ20.3cm、奥行き5.9cmもある、大きな装飾品です。
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図7-17 双頭の蛇の胸飾り 大英博物館 Room27
英国ニュースダイジェスト より【注26】

7-7.マヤ文明 チチェン・イッツァ
 チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味します。現在のメキシコのユカタン半島北部中央に位置し、800~900年頃から 1250年頃まで、マヤ文明の後古典期の中心地として栄えました。

<エル・カスティーョ(城砦)

 エル・カスティーヨは「ククルカン・ピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれます。カステーリョは、基底60m四方、高さ30m(頂上の神殿部分は6m)で、9層からなるピラミッドです。ピラミッドの四辺に階段があり、各階段は91段と最上部(1段)から成り、その合計が365段で、1年の日数と同じ段数になり、古代マヤ文明の天文学の知識の高さを示しています。
*ピラミッドの大きさは青山和夫監修『マヤと古代メキシコ文明のすべて』
宝島社新書による
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図7-18 エル・カスティーヨ 「ククルカンの神殿」
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【
注32

<ククルカン>
 ククルカンとはメソアメリカにおける最高神ケツァルコアトルのマヤ語名であり、羽毛の蛇、農耕神、風と
穣の神ともいわれています。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があります。
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図7-19 ククルカン  北面の最下段
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【注32】

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図7-20 ククルカン
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【*32】

<ククルカンの降臨>
 エル・
カステーヨ(ククルカンのピラミッド)では、1年のうち春分と秋分の夕暮れだけにククルカンが降臨する現象を見ることが出来ます。
 春分と秋分の日の太陽が沈む際にピラミッドの北側階段の西側面にククルカンの胴体がジグサグ状の影を差し、階段下部のククルカン頭部とつながって、大蛇の姿をした神が天から降りてきたように見える現象を「クルカンの降臨」といいます。太陽の力を活力としたククルカン(羽毛の蛇)が異世界からこの世に姿を現す現象を表しています。
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図7-21 春分の日と秋分の日に現れるククルカンの降臨(昼)
ククルカンの降臨 より【注27】

 春分の日のあとにくる満月の日の夜(写真は4月6日の4時頃)にも同じ現象を観察することが出来ます。
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図7-22 ククルカンの降臨(
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【注
32】

<競技場>
 競技場では、宗教儀式として競技が行われました。競技は、太陽に見立てたボールを
腰ではねて(打って)壁に取り付けられているリングをとおすことで得点を競うものです。
 メソアメリカでは「生贄」の文化が広く行われており、この競技では敗者が生贄にされたそうです。(勝者のリーダーが、
神への使者として死ぬ栄誉を授けられたという説もあります。最近ではこのような説があるようですが)
 レリーフの中央下の太陽に見立てたボールの内部には、死のシンボルである頭蓋骨が描かれています。生贄の首から飛び散る血しぶきが神の使いである(7つの)蛇の頭として表現されていて、その血が植物になって実をつけるという、血が生命を生み出す様が描かれています。
*このレリーフについては、「9回.結論と考察」で後述します。
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図7-23 競技場
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【注32】

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図7-24 競技場の浅浮彫のレリーフ
 首から飛び散る血しぶきが神の使いである蛇になっている
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【注32】

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図7-25 競技場に置かれたククルカン
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より【注32】

<兵士の神殿>
 兵士の神殿は、エル・カステーヨ(ククルカンのピラミッド)の東側にあります。入り口に羽毛の蛇の柱が立っており、蛇は頭を下にして、体が柱となり、尾の部分が出入り口の梁を支えています。
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図7-26 兵士の神殿の正面(内側よりみる)
奥に
エル・カステーリョを望む
『世界美術大全集 第1巻 先史美術と中南米美術』(小学館)より
【注11】

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図7-27 チャクモールと口を開いている羽毛の蛇
NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する より
注32】

 正面の左右の壁の中央に蛇の彫刻が頭を出し、その蛇の口からは人の顔がのぞいています。 蛇の口から人間の顔がでている彫刻のひとつはメキシコ市の人類学博物館に移されています。
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図7-28 兵士の神殿 正面の左右の壁 蛇の彫刻から人の顔
RUINAS_MAYAさんの真矢遺跡探訪 より【注28】

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◆主に参考とした文献
注01)嘉幡 茂著 『図説マヤ文明』 (ふくろうの本)  河出書房新社 2020年
注02)青山和夫監修 『マヤと古代メキシコ文明のすべて』 宝島社 2023年
注03)青山 和夫・猪俣 健著『世界の考古学②   メソアメリカの考古学』 同成社 1997年
◆出典
注11)『世界美術大全集 第1巻 先史美術と中南米美術』 小学館
注12)『大系世界の美術7 古代アメリカ美術』 学研
注21)世界の歴史まっぷ
https://sekainorekisi.com/13-%E5%8D%97%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3
%83%AA%E3%82%AB%E6%96%87%E6%98%8E/
注22)YuBrainさんのサイト
https://www.yubrain.com/ja/%E4%BA%BA%E6%96%87%E7%A7%91%E5%AD%A6/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%80%85/
注23)遺跡ときとき猫さんのサイト
 http://isekineko.jp/tyubei-laventa.html
注24)小川裕生さんのホームページ
 https://hirokiogawa.client.jp/Xochicalco.html
注25)世界遺産を学ぶ
 https://worldheritage.online/?p=9977
注26)英国ニュースダイジェスト
 https://www.news-digest.co.uk/news/index.php/features/16634-animals-in-british-museum
注27)ククルカンの降臨 (isekineko.jp)
 http://isekineko.jp/tyubei-kukulukann.html
注28)RUINAS_MAYAさんの真矢遺跡探訪
 http://www.infomaya.jp/yucatan/chichenitza/index.html
<TV>
注31)NHK-BS フロンティア 古代メキシコ 失われた文明の謎 2024/04/16
注32)NHK-BSP4K はるかなる古代文明 マヤ 生命はめぐり 神は降臨する「マヤ文明」2024/04/07
注33)NHK-BS はるかなる古代文明 アンデス・インカ 幻の黄金を求めて 2024/04/06
注34)NHK-BSP4K 古代メキシコ「いけにえ」3000年の謎 〜死と生のふしぎな世界〜2024/8/20
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