フィルハーモニー》が火災に見舞われた
 2008年5月20日午後2時(日本時間同日午後9時)ごろ《フィルハーモニー》に火災が発生した。出火当時、屋根裏で絶縁層の溶接作業が行われており、この火が燃え移ったと見られる。火は約6時間後に消し止められた。出火直前にホールで《ランチコンサート》が行われており、聴衆や楽団員ら約1000人が避難した。午後に予定されていたクラウディオ・アッバード指揮のオーケストラのリハーサル(今回われわれが予定したコンサートらしい)は中止された。ホール内に浸水や損傷はなく、高価な楽器類は安全な場所に保護された。運営主体のベルリンフィル財団は「当面の間(6月6日まで)、大ホールを閉鎖する」と発表。23日に予定されていたクラウディオ・アバド指揮のコンサートがキャンセルになり、別の会場に変更予定。
 火事のニュースの内容は以上のとおりである。そして、5月23日・24日・25日に予定されていたベルリンフィルの演奏会は3回分をまとめて,《ヴァルトビューネ》で実施することに決定した。また、主催者は9,000枚のチケットを追加発売した。チケットの話は現地でのガイドのKさんよりの情報。
   B53w-DSC_0009                          屋根を修復中の《フィルハーモニー》  2008年5月撮影

野外コンサート会場《ヴァルトビューネ》
 《ヴァルトビューネ》はベルリンの北西地区シャーロッテンブルクにある。それはヴァルト(Wald=森)、 ビューネ(Buehne=舞台) の名が示す通り、森の中に作られた野外コンサート会場。
 オリンピック・スタジアムに隣接している《ヴァルトビューネ》は、ヒットラーにより古代ギリシャの野外劇場をイメージして1935年に建設されたとのこと。収容人数は22,000人で、大規模のロックコンサートが開催されてきた。クラシックの演奏会にも使用されるようになり、1990年6月30日にダニエル・バレンボイムの指揮でベルリンフィルによる初夏の宵のコンサートが開催されて以来、ベルリンフィルのシーズン最後を飾る《野外ピクニックコンサート》として毎年恒例になっている。
 2008年9月28日(日) の朝8時より、《ワルトビューネ・コンサート 2007》がNHKのハイビジョンで放映された。ちなみに、2008年は6月22日に開催されている。

《ヴァルトビューネ》へ出かける
 予定通り午後の4時半にホテルを出発。夜には9度まで温度が下がるといわれ、防寒用にホテルのバスタオルを持参。途中、Kさんの案内で夕食のために食べ物と飲み物を買い込む。
 5時前にサッカースタジアムの西側の《ヴァルトビューネ》の入り口に到着すると、すでにたくさんの人が入場を待っていた。やがて人が動き出し、入り口をぬけてなだらかな森を抜け坂を下っていくと、やがて視界が開けて、テレビでおなじみの急な階段状の客席が現れ、その先に芝生のアリーナとテントを模した舞台が見えた。
 席は《フィルハーモニー》の座席のカテゴリー(席のランク)に対応させてゾーニングされている。ゾーンごとに入場者はチェックされ、各ゾーンの中は自由席になっている。拡声装置を使用する会場では、席の位置によって左右の音のバランスが極端に悪くなるので、中央通路に近いところに席を確保。席は木のベンチであり、防寒用に持参したバスタオルを敷いて席をしつらえ、7時の開演を待つ。開演まで1時間半ほど待つことになる。
 席に着いてから客席を見上げると、聴衆が増えており、客席の上部の東半分は夕日に照らされていた。芝生のアリーナに聴衆が入ることもあるが、この日はアリーナは芝生が緑に映えていた。
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                        《ヴァルトビューネ》の全景

 サンドウィッチやソーセージは当たり前、サラダやワインも持参し、中には陶器の食器にナイフやフォーク、そしてワイングラスまで持ってきてピクニックタイムを満喫する慣わしがあるという。周辺の席では、持参した食べ物を広げ、ワインを飲みながら歓談が始まる。
 途中で買い込んだ食べ物は貧弱だったが、こちらも腹ごしらえをして7時の開演を待った。
 森の中に作られた野外コンサート会場 《ヴァルトビューネ》に夕方の5時に入場し、待つこと2時間近くが経過。開演が近づき、舞台には三々五々演奏者が登場してくる。コンサートマスターの安永徹さんはかなり早くから着席し準備に余念がない。そして、演奏者全員が席に着き、ピアノのカバーがやっと取り去られる。湿度の変化を避けるために直前までカバーをかぶせた状態にしておくのであろうか。

サイモン・ラトルの挨拶
 会場全体が静まり、最初の演奏者のマウリツォ・ポリーニとクラウディオ・アバドが現れるのを待っていると、舞台の袖の右奥の階段を降りて登場したのは、ベルリンフィルの首席指揮者で芸術監督であるサイモン・ラトル。
 数日前にベルリンフィルの本拠地《フィルハーモニー》が火事になったことを受けてラトルラトルが挨拶。よく来てくださいました。この数日は何だったのでしょう。私たちのファミリーを紹介したい。彼らがいなかったら《フィルハーモニー》はなくなっていた。警備・警察・消防署の皆さんにお礼を申したい。苦境から立ち直るためにがんばります。(おおよそこんな内容の挨拶だった、と帰りのバスの中で現地スタッフのサポーターの方が説明してくれた)ラトルは短い挨拶ののち、聴衆の盛大な拍手を後に退場。演奏の最後まで舞台の右袖の奥で演奏を見守って、演奏の労をねぎらっていた。

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                                            首席指揮者で芸術監督であるサイモン・ラトル

ベートーベン作曲 ピアノ協奏曲第4番
 M.ポリーニと共にC.アバドが登場し、ベートーベンの第4番のピアノコンチェルトが始まる。冒頭はポリーニの独奏楽器のみで開始され、すぐにアバドの棒によりオーケストラの序奏が始まり、やがてポリーニのピアノに受け渡される。
 《ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58》は、ベートーヴェンが1806年に作曲した。1802年に《ハイリゲンシュタットの遺書》を書いた後の数年の間にベートーベンの多くの代表作が作曲されているが、《ピアノ協奏曲第4番》もそのひとつ。1807年3月に非公開で初演が行われ、1808にアン・デア・ウィーン劇場で公開初演が行われた。この日には、《交響曲第5番「運命」》と、《交響曲第6番「田園」》も同時に初演されている。
 第4番のピアノ協奏曲は、第3番と第5番の間にあるが、この2曲とは異なって、明るくて幸福感に満ちている。ベートーベンはしっかりと構築した《交響曲第3番「英雄」》の後に、気張らないで《交響曲第4番》を作曲した。第3番と第4番のピアノ協奏曲は、同じ番号の交響曲のかかわりとよく似ている。
 1楽章があっという間に終わり、2楽章の終りはそのまま第3楽章に切れ目なく続いて流れていく。2006年に《フィルハーモニー》でベルリンフィルを聴いたときもそうだったが、聴いている音楽に興奮し、最後は恍惚のうちに演奏が終了していた。

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              ピアノのM.ポリーニと指揮者のC.アバドの挨拶

休憩時間の散策
 休憩時間には、アリーナの芝生を踏みしめてみる。アリーナにはたくさんの人が降りてきて散策している。その中には子供を遊ばせている親子連れをたくさん見た。ステージに近いところから広大な客席を見上げると、ぎっしりと詰まった客席の上段の部分は夕日に照らされていた。夜の8時頃のこと。
 客席の急な階段を最上部まで上って下を見下ろす。客席の中段にミキシング用のテントが見え、その下に客席、その先にアリーナがあり、一番奥に舞台のテントが見え、《ヴァルトビューネ》の巨大さと聴衆の多さに圧倒される。
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         休憩時間にアリーナを散策する 夜の8時頃の様子


ベルリオーズ作曲 《テ・デウム》
 休憩時間の後、ベルリオーズ作曲の《テ・デウム》の演奏。オーケストラの団員とたくさんの数の合唱団の入場に時間をとり、オルガン奏者のI.アオウリカナとテノール独唱のM.ブレンチュウに続いて指揮者のC.アバドが登場し、演奏が始まる。
 《テ・デウム》はベルリーズが1849年に作曲した《レクイエム》と並ぶベルリオーズの代表的宗教曲で、演奏時間は《レクイエム》の半分程の約50分。 《テ・デウム》は演奏者の構成が巨大だったために演奏の機会に恵まれず1855年のパリ万国博覧会の前日に、約950名の管弦楽と合唱団によって初演された。
 実は、この 《テ・デウム》をこれまでに聴いたことがなく、出発前にCDを買い、解説書やネットで曲の紹介文などを読んで勉強した。《テ・デウム》については《倉田わたるのミクロコスモス》より、《新・ベルリオーズ入門講座》を中心に知識を得た。最初は難しい曲かと思っていたが、CDで聴いてみると、表題があることにも助けられて、以外に楽に聴くことができた。
 《テ・デウム》は本来8曲で構成されおり、それぞれに表題がついている。第3曲と第8曲は、軍事祝祭用の場合にだけ演奏するよう指示されており、《ヴァルトビューネ》での演奏も6曲の演奏会用の構成だった。
 この曲は大編成で、オルガン、声楽のソロパート、数百人の合唱団で構成される。オルガン、テノール独唱、ソプラノ40、テノール30、バス30からなる合唱を2部(計200)、児童合唱600、という編成の例が紹介されている。《ヴァルトビューネ》での演奏のメンバー構成と数は正確にはわからないが、写真で見るように、合唱団はステージ上に収まることができず左右の舞台袖の奥の上部までぎっしりと詰まっていた。
 第1曲の 《テ・デウム(神よ、我ら御身をほめ)》の冒頭から左右のスピーカーよりオルガンの重低音が鳴り響き、オーケストラがそれに続き、合唱が登場するという迫力満点の曲の始まり。
 第2曲の《ティビ・オムネス(すべての御使い)》は静かなオルガンではじまり、第3曲をとばして、第4曲の《ディナーレ(主よ、この日)》は最初の緩徐楽章。第5曲《クリステ、レクス・グローリエ(御身、キリスト、栄光の王よ)》と第6曲《デ・エルゴ・クェセムス(御身、尊き御血もて)》を経て、最後の第7曲《ユーデックス・クレデリス(審き主として来たりますと)》にいたる。第7曲もオルガンで始まり、巨大な《ヴァルトビューネ》に壮絶な大音響をとどろかせて曲を終了した。     
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    《テ・デウム》の演奏者たち  舞台の両袖の奥まで合唱団があふれている

《ヴァルトビューネ》の音響装置
 この曲を教会で演奏するときのオーケストラ、合唱団、児童合唱団の配置は、演奏の効果を最大限に発揮するように指示されているそうで、当初演奏会が予定されていた、ワインヤードタイプの《フィルハーモニー》では、どのような配置で、どのような音になるか興味深々だった。
 会場が変更になった野外コンサート会場の《ヴァルトビューネ》は、22,000人を収容する規模の会場であるので、当然音響装置が使用される。舞台前面にはオーケストラの音量を助けるスピーカー群が並び、両サイド上部の縦型の大型のスピーカーはオルガンなどの重低音を、舞台中央の上部にある単体のスピーカーは、歌手のソロパートを分担しているように聞こえた。
 目に見えているオーケストラのメンバーの力を振り絞った演奏が、音として伝わってこないもどかしさや、舞台中央の上部のスピーカーから聞こえてくるテノールの独唱の声に不満はあったが、この大きな曲を巨大な会場で聴くことを十分に楽しんだ。

エピローグ
 日が落ちて急に気温が下がってきたのも忘れて、大音響に圧倒されているうちに《ヴァルトビューネ》でのコンサートは9時ころに終了した。今回のツアーは、ウィーンで始まり、プラハ、ドレスデンとたどってきて、ベルリンで5回目の最後のコンサートが終了した。
 《フィルハーモニー》で予定されていたベルリンフィルと独奏者達による演奏を聴くことができなかったのは誠に残念だった。《フィルハーモニー》でのベルリンフィルのコンサートは3日間にわたって3回開催されることになっていた。《フィルハーモニー》が火事に見舞われたことでコンサートが中止になる恐れがあり、もし、3回分の合同のコンサートが、われわれが予定していなかった前日の23日か次の日の25日の夜に行われていたら聴くことができなかった。
 5回目のコンサートの最後に、《ヴァルトビューネ》で貴重な体験ができたことは幸せだったし、再びベルリンの《フィルハーモニー》を訪れたいという口実ができたことは喜ばしいことでもある。
*音楽付きのスライドショーを下記でご覧ください。
 DigiBookの配信サービスが2020年3月31日に終了しました。

 デジブック『 龍のコンサート三昧Ⅱ 』